元証券営業マンの本音で語りたいこと

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戦う集団の証券マンは数字が人格らしい|人格否定されることもあるのが証券マン?

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人を叱る時、人格を否定してはいないとよく言われますよね。

罪を憎んで人を憎まずとも言いますし、何かの事象に対して人を根本から否定するのは、よくないと考えられています。

 

しかし、戦う集団の証券マンは人格否定を受けることが度々あったりします。

数字が人格とか言われると、何だかとっても怪しい集団ですが、目を見てまじまじと言われると怒りを通り越えて泣きたくなります。

 

今回は、証券マンと人格と数字のお話です。

 

やらない奴には確かに腹が立つ

証券会社の職場の雰囲気を作るのは、数字です。

経過率(その月にやらないといけない数字に対しての進捗率)を実際の数字が上回り、且つ他部店の数字を上回っていれば、かなり良い雰囲気で仕事ができますから、自分以外の人の数字も結構重要だったりします。

 

最終的な評価は個人でされますから、自分が数字をできているのが前提ですが、他の人に足を引っ張られている時は、正直腹が立つこともありました。

 

特にやりたくない商品をやらない人の数字を押し付けられそうになれば、

「俺、もうやったじゃん!!」ってなりますね。

自分に余裕があって、商品自体も悪くないなら、持ちつ持たれつで頑張りますが、明らかにやる気がない人の数字まで叩かされるのは結構キツイ仕事でした。

 

上からお尻を叩かれて走るのが証券マンの宿命なので、仲間内は案外仲良くやっていましたが、私は頑張らないでできない人は嫌いだったので、見える努力はしっかりするべきだと思っていました。

 

自分もできない時はありますから、遅れている人の数字をやってあげるのはしょうがない部分もあると思いながら仕事をしますが、正味な話、部店の数字が終わらない限り仕事が進まないので、できない人に良い印象はどんどんなくなっていく感じはありました。

頑張っていれば、当然応援するのですが…。

往々にして、そういう人はモチベージョンを失っていくのが通常でした。

 

数字は人格発言について

証券マンは戦う集団です。

それぞれ得意不得意もあるので、持ちつ持たれつが成立しつつ、部店の数字が進んでいくメンバー構成が最も望ましいです。

汚い数字の叩き方をする証券マンに思うことは色々ありましたが、やななければならない仕事にフォーカスして考えれば、立派な数字を出していることは時々尊敬の眼差しに変わる瞬間があったことも事実でした。

 

証券マンはアドバイザーと販売員の両方の顔を顧客に見せるので、やり方次第で数字をコントロールすることもできます。

例えば、「ある顧客の儲けている玉を何にするのか」について担当者側に実質的な決定権がある場合が存在するということです。

「あなたがそう言うならやってみようかしら」って言う顧客が各証券マンには必ず何人かいますし、そういう顧客を作ることが日々の業務で求められることでもあります。

 

そうなると、ある商品にノルマが来た場合、そのノルマが部店の中で終わるまでひたすら怒られながら回避し、次の商品で一気にノルマを達成して楽しようとすることも可能になります。

「やりたくないからやらない」選択肢もあったりするのです。

「この商品は他の誰かがやるだろうし、今月のキーは次の商品だから、あの客の玉は温存しよう。あと二日怒られておけばいいか」

こんな考えを抱くことは珍しくなかったりします。

 

従って、ある意味「数字は人格」だと言う上司の意見を全部否定することができない部分もあるのかなとも思っていました。

本当にしんどい時は、他の人を助けている場合ではないですし、せめて自分のノルマの8割くらいはいって欲しいというのが結構本音であることも多かったですね。

 

自分が人格否定された時は

やっぱり響きますね。

「数字は人格だ!!何でやらないんだ!!仕事してくれよ!!!」

 

やらないんじゃない。できないんだよ。

心の中で言いますが、出来ない時は心身共に病んでいるので怒りよりも凹む方が強かったです。

数字が叩けていない時は、あからさまに周りの迷惑になっていますからね。

ノルマを越えて数字を出してくれる人に申し訳ないですし、「このままずっとできなかったらどうしよう」って考えも浮かんできます。

 

でも人格って言葉はやっぱりちょっと行き過ぎだとは思います。

その言葉で病気になる人も出てくるのが普通でしょうし、それでなくても怒号が鳴り響く職場ですからね。

戦う集団である証券マンですから、数字を叩けないことを簡単に看過することはできませんし、高い給与貰っていますからね。

やらないといけないことはやらないといけないわけで、できないなら他に行くしかないのが証券マンかなとも思いますが、どんな事情があっても人格否定は行き過ぎですよね。

 

数字がその証券マンの価値を決めるんは仕方ないと思うんです。

そこには夢も詰まっていますし、インセンティブも発生しますからね。

色々な相場がありますから、フリーハンドでやらせたら不況時に証券会社は簡単に潰れます。

 

数字は人格だと脅すところくらいまでが限度でしょうか。

完全に人格否定が始まった時は、流石にブレーキが必要です。

かつて、明らかにやめさせようとしている社員に対し、支店長が人格否定をバンバンしていたこともありましたが、聞いている方も辛いものでした。

その人は完全にブラ下がり主義者だったので、私個人として思い入れはなかったのですが、なかなか壮絶な現場で、昔はもっとすごかったと思うと言葉にし辛い思いを抱きます。

普通にパワハラなんですが、どこからどこまで許される範囲なのか、証券業界にいるとよく分からなくなってきます。

 

「数字は人格」を言ったのは一人だけ。でもそれを否定する人はいなかった

ここまで来て思い切ったカミングアウトですが、「数字は人格」を言っていたのは一人だす。

誤解を与えるような構成にしてすみません。

でも、それを否定する人は仲間内を含めて誰もいなかったのです。

直接その言葉を発しなくても、軽い共通認識にも似た感じがありました。

 

できない営業マンとは仕事ができない。やろうとしない営業マンにはせめて自分の前からはいなくなってほしい。

しんどい現場なので、こんな想いが本音だったように思います。

 

恐らくそれくらい数字に責任を感じていたのが証券マンとして働いている人だったのでしょうし、数字を叩けないのが迷惑になることも、他の人ができないなら自分に降りかかってくる災いであることも理解していたのだと思います。

証券マンとして働くなら、数字には「人となり」をかけろということでしょうか。

出来る営業マンほど、こんな考えをもっていたように思います。

実際に数字が叩けなければ、居れるところではなかったですしね。

 

まとめ

今回は「戦う集団の証券マンは数字が人格らしい」と何とも煮え切らないテーマでお送りしました。

実際の経験を思い出すと、言いたいことが二つの視点から出てきて、まとめ切れなかった感が残ります。

 

証券業界も浄化が進んでいますから、完全なる人格否定はそうそうないことです。

ただ、数字が人格であるような業界ではあるかなと思います。

やっぱり戦う集団ですね。証券マンは。

平和主義者の方もたくさんいますが、どこかで割り切って戦っていかないといけない世界です。

高給取りのイメージがあるかもしれないですが、それなりのプレッシャーの中で働いている対価かもしれません。

 

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